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2018年10月31日 (水)

四国ゆかりの人物

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高松市内にある「平家物語歴史館」の一階に展示されている四国ゆかりの人物の蝋人形をご紹介していますが、その第二弾です。
 
写真の左上に表示しているのは、高知県幡多郡出身で、終戦後、長い間首相の座にあった「吉田 茂」です。 戦後の政治・経済の混乱を収拾し、基礎を築きましたが、その豪腕から「ワンマン首相」とも揶揄された総理大臣です。
 
右上は香川県豊浜町出身の「大平 正芳」。 昭和27年、香川二区から衆議院議員に当選し、S36年には官房長官、S53年に自民党総裁に昇りつめ内閣を組織しました。 「鈍牛」というニックネームで親しまれた総理大臣でした。
 
左下は、高松藩第12代当主「松平 頼寿(ヨリナガ)」です。 明治34年家督相続して伯爵となり、M41年貴族院議員に当選、S12年貴族院議長に就任し、死に至るまで議長に在任しました。 
 
右下は土佐藩の郷士の子として生まれた「寺田 寅彦」。 東京帝国大学を卒業後、実験物理学者として活躍し、大正8年胃潰瘍で吐血してからは文学と絵画の世界に親しむようになり、療養のため高知に住んで、郷土を愛した多くの随筆を「吉村 冬彦」の名で発表しました。
 
 
 
 
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左上は高松市出身の文学者「菊池 寛」です。  京都帝大を卒業後作家を志し、一高時代の友人であった芥川龍之介、久米正雄らと同人誌「新思潮」を発行。 戯曲「父帰る」、小説「無名作家の日記」、「忠直卿行状記」などによって文壇に地歩を固めました。 また大正12年「文藝春秋」を創刊し社長となり、芥川賞、直木賞を創設したことも有名です。
 
右上の写真は、高知県幡多郡出身の「幸徳 秋水」。 明治20年自由民権運動に加わり東京に出たが保安条例によって退去命令を受け、中江兆民の書生となりました。 新聞記者として活動していたが社会主義に傾倒し日露戦争反対を主張した。 明治43年明治天皇の暗殺を企てたとして幸徳事件(大逆事件)の首謀者として逮捕され、翌年有罪が確定し死刑に処せられた思想家です。
 
左下は「正岡 子規」。 松山藩士の長男として生まれ、明治16年上京して東京帝国大学に学びましたが二年で中退し俳句の研究に没頭しました。 俳壇革新運動を志し、同人誌「ホトトギス」を発刊して筆をとり、俳句を近代文学の一つとして確立させました。
 
右下の写真は「中江 兆民」。 高知城下の足軽の家に生まれ、藩校で蘭学、英語を学び、藩留学生として長崎でフランス語を学びました。 明治になって政府からフランス留学を命じられ、帰国後「東洋自由新聞」主筆としてフランス流の民権思想の普及を計りました。 明治32年第一回衆議院議員選挙で当選しましたが土佐派の裏切りに腹を立て辞任。 民間人として「人民主権説」を唱え続けた思想家です。
 
 
 
 
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右上は高知県佐川町出身の植物学者「牧野 富太郎」。 酒造家の長男として豊かな少年時代を過ごしたが、小学校は1年で止め独学で植物の研究を続けました。 上京して東大植物学科に出入りすることを許され、植物の分類学に没頭。 昭和15年 研究の成果を「牧野日本植物図鑑」として刊行し、日本の植物学の基礎を築きました。 
 
右上は、同じく高知市出身の漫画家「横山 隆一」です。 昭和7年、近藤日出造たちと「新漫画派集団」を結成しました。 朝日新聞に「江戸っ子健ちゃん」を連載。 その登場人物だった「フクちゃん」が人気を集め、終戦後は毎日新聞に移って昭和46年まで「フクちゃん」を連載しました。 
 
左下は八幡浜市出身の「二宮 忠八」です。 ご存じない方も多いかもしれませんが、小さい頃から紙飛行機の製作が得意で、21歳のとき丸亀歩兵12連隊に入隊し、演習の帰り道、香川県仲南町の樅ノ木峠でカラスの飛ぶ様子を観て「飛行機」の原理を思いつき、玉虫型飛行機を制作、軍に実用化を具申しましたが却下されました。 その考案はライト兄弟の飛行機発明より12年も早い発明でした。 
 
右下の写真は、土佐藩の漁師の子で、出漁中に遭難しアメリカの捕鯨船に救助され帰国した「ジョン万次郎」こと「中浜 万次郎」の像です。 アメリカでは船長のお蔭で学校教育を受け、測量や航海術を習い、幕末の日本へ帰国したことはご承知の通りです。 
 
 
 
 
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左上は、皆さんよくご存じの土佐の英雄「坂本龍馬」像です。 土佐郷士の息子として誕生しましたが、古くからの習慣に縛られる藩政に飽き足らず自由を求めて脱藩。 新しい日本の幕開けに力を発揮し、自らは海援隊を組織した幕末の寵児です。
 
右上の写真は土佐北川郷の庄屋の息子として誕生した「中岡 慎太郎」です。 武市半平太の指導する「土佐勤皇党」に入って京都・江戸で活躍。 脱藩以降は長州藩の庇護を受け、坂本龍馬と共に薩長連合に努力し、土佐藩を討幕派に転向させようとしている最中に暗殺されました。
 
左下の像は、松山の俳人「高浜 虚子」です。  正岡子規の後輩で、同人誌「ホトトギス」を主宰しました。 「定型」と「季語」の伝統を守り、「花鳥風月」を説き、子規の俳句革新の志を引き継いだ俳人で、昭和29年には「文化勲章」を受賞しました。
 
右下は、高松市出身の芸術家「猪熊 弦一郎」です。 東京美術学校に進みましたが病気のため中退。 大正15年に「帝展」に初入選しました。 昭和13年からフランスに滞在しマチスに教えを請い、昭和30年からはニューヨークにアトリエを構えて20年を過ごしました。
戦後は壁画に意欲を見せ、画風は抽象画に変わってゆき、三越の包装紙(赤い変形した〇が配置された図柄)なども彼の作品です。
 
こうして並んでいると、四国に所縁の偉人、著名人は、案外多いものです。
 
 
 
 
 
 

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コメント

一言
「すごい」しか言葉が出ません・・

→ 鉄腕マトムさん

こうして見ると、四国出身の偉人・著名人も、なかなか多彩ですね!

政治的な有名人多いですが、高松市には菊池寛文学賞、松山にも子規の俳句賞があるなど、文学の分野で未だにその名が息づいていますね!
四国、奥行き深いです^.^/

→ キハ58さん

俳人や文学者の他、高知県には漫画家が沢山出ていますネ~!

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