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2018年10月15日 (月)

敦賀ムゼウム

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明治32年(1899年)に諸外国との開港場に指定された「敦賀港」は、三年後の1902年には敦賀~ウラジオストック間に直通航路が開設され国際港として活躍しました。
 
中でも、この敦賀港は、大正9年のポーランド孤児上陸港として、二度目は昭和15年、杉原千畝が発行した「命のビザ」を受け取ったユダヤ人難民の受入港として、二度「人道の港」となりました。
 
 
 
 
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この「敦賀ムゼウム」の建物内で、敦賀港での二度に渡る人道的な受入事業に関する資料展示やビデオ放映が行われています。
 
※ ムゼウム … ポーランド語で、ミュージアム(資料館)を指します。
 
① 大正9年(1920年)ロシア革命の際、動乱のシベリアで家族を失ったポーランド孤児が日本赤十字社による数度の救出活動によって、ウラジオストックから輸送船に乗せられて来日し、合計763名の孤児が敦賀港へ辿り着きました。
 
 
 
 
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② 昭和15年(1940年)リトアニアの日本領事館・杉原千畝によってビザの発給を受けたユダヤ人難民は、シベリア鉄道で所持品の強奪、ソビアト官憲による強制連行などに遭遇しながらもウラジオストックへ辿り着き、やっとの思いで敦賀港へ上陸しました。
 
 
 
 
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1940年から1941年にかけ、約6,000人のユダヤ人が、「命のビザ」を手にして敦賀港へ上陸し、敦賀市民の暖かい「もてなし」に嬉し涙を流した…との資料が残されています。
 
ユダヤ人達は、敦賀から神戸、横浜を経由して、それぞれの希望する国へと旅立ちました。  
「命のビザ」を受け取ったユダヤ人が日本を経由して逃げ延び、その受入港が敦賀港だったなんて、私は初めて知りました。
 
 
 
 
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敦賀港のすぐ東に、二棟並んで建っている「敦賀赤レンガ倉庫」です。
 
北棟、南棟、煉瓦塀は、2009年国の登録有形文化財に指定されました。
 
 
 
 
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外国人技師の手によって建築された煉瓦倉庫は、最初は石油貯蔵庫として使用され、後に昆布貯蔵庫として利用されてきました。
 
現在は「鉄道と港のジオラマ」、「敦賀ならではの魅力的なレストラン」の両方を楽しめる観光施設として活用されています。
 
私達は、この煉瓦倉庫の中にあるレストランで美味しい昼食をいただきました。
 
 
 
 
 
 

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コメント

杉原千畝の名前はしっておりましたが
「命のビザ」のその後の話は知りませんでした
敦賀港だったのですか・・
もっと日本国民に周知させられるべきなように感じました。

→ 鉄腕マトムさん

ビザの発給を受けたユダヤ人が、敦賀港へ来たなんて、私も知りませんでした。

杉原千畝は 岐阜県出身ということもあり、こちらではよく話題になります。
昨年、この千畝の半生を題材にした、昔の映画を観賞する機会があり、余計関心を持つようになりました。
岐阜県八百津町には、千畝記念館があります。再度こちらにおみえの節は 是非寄ってください。

→ スーちゃん

八百津町の千畝記念館へは、是非機会を見つけて行ってみたいものです。

キハ28の写真嬉しいです^.^/
千畝氏は、唐沢寿明主人公の映画を観ました。
素晴らしい方ですね!

→ キハ58さん

本文中に、煉瓦倉庫脇に展示されていた「キハ28」を紹介する文章を書くことを忘れていました。

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