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2017年6月11日 (日)

賣太(めた)神社

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私達は大和郡山市内にあるビジネス・ホテルにチェックインし荷物を部屋に置いた後、再び車に乗って、稗田環濠集落の端にある「賣太(メタ)神社を訪ねました。
 
主斉神に、あの有名な古事記を誦した稗田阿礼(ヒエタノアレ)命をお祀りする神社です。
 
 
 
 
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天武天皇の舎人(トネリ)として、側近くに仕えていた稗田阿礼(ヒエタノアレ)は28歳、優れた記憶力の持ち主で、一度目にした文字は一字一句違わず諳んじ、一度耳にした言葉は心に刻んで決して忘れることがありませんでした。
 
かねてより天武天皇は時を経る中で、諸家の伝承する故事や歴史に誤りや嘘が混じるようになっており、このままでは正しい歴史が失われてしまう懸念を抱いておられました。
 
そこで、正史を記録に残さんと決意され、阿礼を召し、歴代天皇の系譜と事績、古い伝承を誦習せしめましたが、編纂までには至りませんでした。
 
 
 
 
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それから三十数年後、元明天皇の御代となった和銅4年(711年)、元明天皇は太安萬侶(オオノヤスマロ)に、天武天皇が記憶させた旧辞を稗田阿礼に誦ませ、それを筆録するよう命じられました。
 
太安萬侶は苦心の末に記録を完成させ、翌年天皇に献上したのが、この「古事記」であると、その序文に記載されています。
 
その記憶力抜群の舎人が「稗田阿礼」であり、「舎人(トネリ)」であることから「男性」と云われてきましたが、「女性」であった…という説も根強く唱えられています。
 
 
 
 
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現在は稗田村と云われている集落は「比賣陀」の訛りで、その神社名も「比賣太(ヒメタ」の「比(ヒ)」が脱落し「賣太(メタ)」となったという説が有力なようです。
 
現在の賣太神社は、稗田阿礼を学問、知恵の神として祀り、毎年8月16日の「阿礼祭」は阿礼の威徳を偲び、お話の神様として顕彰すべく、奈良県童話連盟が発起して始まったお祭りで、「童話の読み聞かせ」などが盛大に行われています。
 
 
 
 
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また、歴史が下った中世に、この地は、松永久秀が筒井順慶と19年間に渡って攻防戦を繰り広げた地域で、「八王子砦」が設けられていたことから、神社の一角に「八王子塚」が残されています。
 
「古事記」という日本最古の書物に書かれた内容は、全て稗田阿礼の記憶、だとすると、、、驚くべき記憶力です。 
そんな稗田阿礼を祀る神社で、私達は静かに手を合わせてきました。
 
 
 
 
 

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コメント

賣太(メタ)と読むのですか、
全く知りませんでした・・
「古事記」・・遠い昔に学校で習ったことを思い出させてくれました、稗田阿礼を祀る神社の存在は興味をそそるものですね。

→ 鉄腕マトムさん

「賣太」と書いて「メタ」と読むなんて、、、古事記の世界そのものですね!

難しい漢字の羅列 とても覚えきれない・・
人の中には類いまれなる記憶力の人間も居る者ですねー
古事記・・気になる書物ではあります。

難しい名前ですね!
神社のことも初めて知りました。
日本の国の歴史そのものですね^.^/

→ 遠音さん

全ての記憶を文字に編纂したのが「古事記」なのですから、、、すごい記憶力です。

おまけに30年も前の記憶だったのですから想像すらできません。

→ キハ58さん

私も、大和郡山の観光案内を見て、初めてその存在を知りました。  

日本史を感じる神社ですよね!

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