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2017年6月 9日 (金)

伏見・桃山城

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立派な追手門に、「伏見桃山城」と刻まれた立派な石碑が建っている、ここは城?
 
 
 
 
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大手門を潜って城内に入ると、正面には立派な大天守と小天守がド~ン!
 
但し、これらの建物は「伏見桃山城キャッスルランド」の目玉施設として昭和39年に建設された模擬天守です。
 
遊園地は閉鎖されたものの、せっかくの模擬天守まで取り壊してしまうのは「勿体無い!」という市民の声に押されて、寄付を受け、市の運動公園の施設として外からの観覧だけが無料で楽しめるようになっています。
 
 
 
 
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こうして外から眺めると、外見だけは正確に復元されているように見受けられます。
 
この伏見城は、過去に三度に渡って築城されています。 
 
最初の城は朝鮮出兵開始の後、天正19年(1592年)に秀吉の隠居後の住まいとして築かれ始め、1594年に秀吉が入城し、その二年後の1596年に完成しました。
 
後にその地名から「指月伏見城」と呼ばれました。
 
 
 
 
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大変残念なことながら、指月伏見城は、完成直後の1596年、慶長伏見地震によって倒壊してしまい、その指月から北東1Km程の木幡山に新たな城の築城が命じられました。
 
そして、現在のこの地に二度目の築城となる「木幡山伏見城」が築城されました。
 
 
 
 
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関ヶ原の戦いの際には、徳川家康の家臣・鳥居元忠らが木幡伏見城を守っていましたが、石田三成に率いられた西軍に攻められて落城し、建物の大半が焼失してしまいました。
 
 
 
 
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焼失した伏見城は、徳川家康によって1602年に再建されましたが、元和5年(1619年)に廃城が決定されました。  
尚、この時の建物や部材は二条城、淀城、福山城などに移築、若しくは再利用されました。
 
伏見城の跡には、元禄時代頃までに沢山の桃の木が植えられ、「桃山」と呼ばれるようになったことから「伏見桃山城」という名が広まったようです。
 
それにしても「伏見城の模擬天守」は見応えタップリでした。           
 
 
 
 
 
 

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コメント

レプリカとは言え楽しいです!
大阪城なんか鉄筋コンクリート製ですしね~

→ 鉄腕マトムさん

外見を真似しただけでも、それなりに、楽しいですよネ!

この天守閣、そういう生い立ちだったのですね!
キチンとお手入れされているようで、何よりです^.^/

→ キハ58さん

お城を外側から眺めると立派なのですが、内部へ立ち入る丈夫さは無いようです。

こんばんは~
模擬天守とは言え立派な大小の天守閣のいい眺めがですね。
耐震関係で内部には入れませんが
外観だけでも見せていただけるだけで嬉しいです。
天守閣大好きです。

→ 彩さん

この伏見城は「彩のきまぐれ写真」で拝見したことが、きっかけで訪ねたんですよ!

お世話になりました。

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