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2017年3月20日 (月)

ひめゆりの塔

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私達は、太平洋戦争最後の激戦地であり、悲しい歴史の記念碑である「ひめゆりの塔」を訪ねました。
 
 
 
 
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沖縄戦のさなか、沖縄師範学校と沖縄県立第一高女の生徒・教師は、前線で負傷した日本兵の看護のために招集され、この地にあった洞窟の臨時救護所で働いていました。
 
押し寄せるアメリカ軍が間近に迫った1945年6月18日、突然「解散命令」が出され、そこで働いていた教師・女生徒たちは米軍が包囲する戦場に放り出されたのです。
 
米軍による一方的な攻撃で亡くなったり、自殺を余儀なくされた「ひめゆり学徒と教師」の数は227名。  「ひめゆりの塔」は、その悲しい鎮魂の場です。
 
 
 
 
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記念碑のすぐ横には、終戦後すぐに造られた最初の記念碑と戦没者の記銘簿が残され、戦場での負傷兵を収容していた洞窟の入口がポッカリと穴を開けていました。
 
 
 
 
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記念碑のすぐ背後には「ひめゆり平和祈念資料館」があり、その当時の生々しい写真や資料、回想録などが展示されていました。
 
私達も入館しましたが、資料を見る度に、寂しく、悲しい気持ちに襲われてしまい、とても全てを見る勇気が無くなってしまいました。
 
 
 
 
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多くの犠牲者を出した沖縄県立第一高女の校友会誌が「おとひめ」、沖縄師範学校の校友会誌が「白百合」という名前であったことから、両方の名前から「ひめ・ゆり」と名付けられました。
 
全国の皆さんから贈られた平和のシンボルである千羽鶴が沢山飾られ、庭には花々が綺麗に咲いていると、余計に亡くなった方々のことがお気の毒に思えて、悲しくて仕方ありませんでした。
 
 
 
 
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インド原産のベンガル・ヤハズカズラが紫色した綺麗な花を沢山咲かせていました。
 
 
 
 
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記念碑の周囲には大木が繁り、花々が咲いて戦没者の霊を慰めています。
 
もう、二度とこんな悲劇を繰り返さないことを祈りたい気持ちになりました。
 
 
 
 
 
 

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コメント

こんな洞窟だったのですね・・・
周囲の大木は戦後70年にしてこれほどに成長したのでしょうか。

→ 鉄腕マトムさん

こんな洞窟が野戦病院として使われていたんですネ~!

当時の悲惨な状況が偲ばれます、

悲し過ぎます。
世界中にさまざまあっても、でも、変わらない人の営みなのですね。

→ キハ58さん

戦争の悲しい傷跡でしたね~!  

このことを忘れないで、いつまでも平和を願いたいと思いました。

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