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2016年12月 2日 (金)

小倉城址

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私の高校時代の友人が脳梗塞を発症、しばらくは病院の集中治療室に居たのですが、一般病棟へ移動し見舞いができる…という連絡があったため、急いで佐賀県・鳥栖まで片道510Km車を走らせました。
 
思い立ってすぐに高松を出発したもので近くにホテルがとれず、何と鳥栖から100Km程も離れた、小倉駅近くのホテルで、その夜を過ごしました。
 
 
 
 
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翌朝は、素泊まりのホテルから街中に出て、簡単に朝食を済ませました。
このまま高松まで帰ってしまうのも勿体ない…と「小倉城」に立ち寄ることにしました。
 
小倉城跡は、①八坂神社、②勝山公園、天守閣、③小倉城庭園と、大きく三つの区画に別れているのですが、私達は松本清張記念館のある城の西側駐車場へ車を停め「西ノ口門跡」から②天守閣方面へ向かって入ってゆきました。
 
 
 
 
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前方左手に、見えてきました小倉城天守閣。
 
小倉城は慶長7年(1602年)、関ヶ原合戦の戦功により豊前国を賜った細川忠興によって築城されました。 
 
現在の天守は昭和34年に復元されたものですが、天守閣の上層が下層部より大きい造りで、屋根には破風が無く、当時はこの構造を「唐造り」と呼んでいました。
 
 
 
 
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この角度から天守閣を見上げると、最上部の壁が斜めに張り出した頬杖によって支えられているのが分ります。
 
四層目の下段までが白壁で塗られ、四層目上段は黒塗りの張り出しになって、四重五層という珍しい構造になっています。
 
 
 
 
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小倉城は、すぐ東を流れる紫川を天然の堀と見立て、この川を挟んで東西に曲輪を設けました。
 
城郭の総構えは約8Kmにも及ぶ広大なもので、これを堀で囲み、街道へ通じる八ヶ所の門を設けてありました。
 
 
 
 
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流石に城内各所に大きな石を積み重ねた石垣が築かれ、昔は「五重六層」と云われた天守を固く守っています。
 
 
 
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ただし、現在の小倉城は、周辺が中心市街地として再開発されてきたため、近代的な高層ビルや奇抜なデザインの建物に囲まれ、少し可哀想な状況にあります。
 
細川忠興が甦って、この様子を眺めたら、、、さて、何と言うことでしょう?
 
 
 
 
 
 

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コメント

今更ながら軽いフットワークには驚かされましたよ!
しかも、タダでは帰らない!
中身の濃い行動には只々感服致します、
天守、昭和の再建だったのですか。

→ 鉄腕マトムさん

幕末、第二次長州征伐の際、高杉晋作などの長州軍の攻撃によって、この小倉城は焼かれてしまいました。 昔の資料による再建だったようです。

小倉城、イメージありませんでした^.^;;
石垣など立派ですね^.^/

→ キハ58さん

幕末で焼失してしまったため、あまりイメージは無いかもしれませんネ!

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