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2016年12月15日 (木)

広島・原爆ドーム

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現在では広く「原爆ドーム」と呼ばれ、その名でユネスコの世界遺産に登録されていますが、原爆に被災する以前は「広島県物産陳列館」という名前の建物でした。
 
チェコの建築家ヤン・レツル設計により、大正4年(1915年)に建築された建物で、広島の特産品を展示したり、色々な催し物が開かれていました。
 
 
 
 
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昭和20年8月6日、午前8時15分に投下された原子爆弾は、この建物の南東150m、約600m上空で炸裂し、一瞬にしてこのように焼けただれ、廃墟になってしまいました。
 
終戦後、原爆の惨禍を末永く後世に伝えるため被爆当時のままの姿で残してゆこうという声が広島市民の間から湧きあがり、昭和41年(1966年)に原爆ドームの永久保存が決定しました。
 
 
 
 
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原爆ドームは、平成8年(1996年)12月、核兵器の廃絶と人類の平和を求める誓いのシンボルとしてユネスコの世界遺産に登録されました。
 
 
 
 
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原爆ドームの東側へ回り込むと、折から夕陽を受けたドームが影絵のように黒く浮き上がって見えました。
 
久しぶりで平和記念公園を訪れてみて、日本人は勿論ですが、外国人が沢山訪れていることに、少し嬉しい気持ちになりました。 核戦争の恐ろしさを、是非多くの人に感じて欲しいものです。  そして二度と戦争の惨禍を起さないことを、心から祈ってきました。
 
 
 
 
 
 

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コメント

ほぼ爆心の真下だったのでこのような形で残ったそうですね
横方向の爆風を受けていたら全壊になったのでしょう・・
唯一の被爆国として守っていかれることが当然に思えます。

→ 鉄腕マトムさん

偶然なのでしょうが、悲惨な状況を示すのに、ピッタリな遺産が残されたものです。

核廃絶のシンボルとして永く残して欲しいものです。

そうでしたね。
広島県物産陳列館って言っていたときに 何か買ったように思います。
ドームの絵はがきも買いました 5枚入っていて・¥200でした。

→ 六花さん

色々な思い出が、それぞれに残っているんですネ~!

広島に生まれ育った私ですがこんなに きちんと 原爆ドームのことを 調べたり 考えたりしたことありません。
自然に頭と心に入っていたという感じです。
 被爆者だった母に何度もその当時の
話を聞いて 育ちました。 
母は原爆ドームは昔 ”産業奨励館” という名前だったんだよ。 とよく言ってました。

調べたら(設立当初は「広島県物産陳列館」という名称で その後「広島県立商品陳列所」、「広島県産業奨励館」と改称されました。)とのことです。

→ keiko さん

地元に住んでいると、「いつでも行ける…」と思ってしまい、なかなか行かないことがあったりするものです。 
 
でも、私の場合、知人や友人が高松にやって来る度に、栗林公園や屋島に案内しています。

未来の人間に、何が起きたかを伝えるドーム・・・世界遺産の本当の価値を示していると思います。

→ キハ58さん

本当に末永く保存して、未来の人へ伝えて欲しいですネ~!

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