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2016年11月 8日 (火)

龍岡城・五稜郭

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北海道・函館にある「五稜郭」は有名な西洋式城郭ですが、日本には、もう一つ星型をした洋式城郭があることをご存じでしょうか?
 
現在は長野県佐久市と合併した、旧・田野口村(旧・臼田町)にある「龍岡城」が、もう一つの五稜郭です。
 
 
 
 
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現在残されている龍岡城は、堀の一部が埋め立てられ、城内には田口小学校の校舎が建てられていますが、間違いなく五稜郭であった堀や石垣が残され、地図でもその様子が想像できます。
 
 
 
 
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残っている大手門から城内へ入ると、神社が祀られ、その奥には田口小学校の校庭が広がり、校舎・体育館が見えました。
 
ここ信州・佐久の地に一万二千石、三河に四千石の封地を持っていた三河奥殿藩の松平氏は、宝永以来160年間、この地を治めてきましたが、本拠は三河、佐久には陣屋を置いてきました。
 
第11代藩主、松平乗謨(ノリカタ)の時、幕末激動の情勢に応じて信州へ居館を移すことを計画し、元治元年(1864年)三月に着工、慶応三年(1867年)竣工、この地の字名から「龍岡城」と名付けました。
 
 
 
 
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松平乗謨は学才識見ともに優れ、幕府の陸軍奉行、老中格、陸軍総裁などの要職につき、この築城に当たってはヨーロッパで考案された「稜堡式築城法」を用い、いわゆる五稜郭の城郭が誕生しました。
 
この堀の形からも、星型であることが判ります。
 
 
 
 
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私達が訪れたのは、9月中旬の秋でしたが、春にはパンフレット写真のように、桜の花に飾られる五稜郭のようです。
 
また、松平乗謨は、新たな時代の先覚者としても活躍し、明治に時代が移ると、佐野恒民らと博愛社(日本赤十字社の前身)を設立したり、明治新政府の勲章制度を創設するなどしました。
 
 
 
 
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旧・臼田町のマンホール蓋には、星型の五稜郭の中に臼田町の町章が描かれています。
 
全国的にはあまり知られていない、信州の五稜郭・龍岡城ですが、地元では自慢のお城だったようです。
 
 
 
 
 
 
 
 

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コメント

知らなかったですよー
五稜郭と言えば函館市かね。

これも見事ですね。  子ども達も誇りにおもい
学んで行くとおもいます。
歴史のある所はいいです。

→ 六花さん

函館の五稜郭は、その規模も大きく、華々しく歴史に登場して有名になりましたが、佐久の
五稜郭は、一度も華々しい機会が無かったのです。  皮肉なものですね!

佐久の五稜郭!
メディアでも取り上げられたことはないのではないのでしょうか?
美しいですね!!
あら、マンホールのデザインのシンプルなこと・・

→ 鉄腕マトムさん

佐久の五稜郭、ほとんど知られていないんですよネ!  
 
マンホールは既製品の中央部に市章を加えただけのものでした。

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