« くしもと大橋 | トップページ | 樫野埼灯台 »

2016年11月24日 (木)

トルコ軍艦・遭難慰霊碑

Img_0051_2

 
Img_0053
 
私達の車は、紀伊大島の島内をどんどん東に向かって進み、その東端にある樫野崎の駐車場へ車を停めました。
 
灯台へ向かって歩いてゆくと、すぐに右手に見えてきたのが立派な「トルコ記念館」と「平時国際活動発祥の地」の石碑です。
 
 
 
 
Img_0055  
 
そして、見えてきた大きな石碑が「トルコ軍艦遭難慰霊碑」です。  
 
昨年、日本とトルコとの合作映画「海難1890」でも描かれた、明治23年9月に起こったトルコ軍艦・エルトゥールル号遭難事件の記念碑です。
 
 
 
 
Img_0057
 
Img_0056
 
明治23年9月16日、トルコ皇帝特派使節団を乗せた軍艦エルトゥールル号が台風による暴風雨のため、この慰霊碑眼下の岩礁で難破しました。
 
樫野崎灯台下に流れ着いた生存者のうち10名程が断崖を這い上って灯台に辿り着き、応急処置を行ないましたが、互いの言葉が通じず、国際信号旗を使用してオスマン・トルコ帝国の軍艦が遭難したことを知りました。
 
 
 
 
Img_0060
 
通報を受けた大島村・樫野の住民たちは、総出で生存者の救出、介抱に当りました。 台風のために漁に出られず、食料の蓄えも僅かしかなかったにもかかわらず、住民は卵やサツマイモ、浴衣や衣類を提供し、非常用の鶏まで供出して生存者の救護に努めました。
 
この結果、樫野の寺、学校、灯台に収容された69名が命を取り留めることができました。
しかし遭難者の遺体は587体に及び、引き揚げられた遺体はこの丘に埋葬されました。
 
あの荒々しい岩礁を見ると、遭難に納得がゆきます。 
 
 
 
 
Img_0059
 
トルコでは、この話は教科書で紹介され、ほとんどのトルコ人がこの話を知っています。
 
トルコが、大変な親日国である理由が、この遭難事件だったのです。
 
 
 
 
 
 

« くしもと大橋 | トップページ | 樫野埼灯台 »

コメント

海女さんたちが大活躍をしたとか・・
親戚が長期に渡りトルコに赴任しておりましたが、未だに日本人に対して親密な関係を持っていてくれていたそうです。

→ 鉄腕マトムさん

私も、去年「海難1890」の映画を観て、初めて詳しい事情が分かりました。

親日国トルコは、嬉しいことです。

気がついたこと。 本州では過去の記念碑 建造物を
きちんと整備していますね。 公園のようにして維持している。

どうも北海道って開拓史すら記念碑が草ぼうぼうで
開拓なにそれ? 簡単に言うならそんな言葉が当てはまりそう。
いまがあまりにも大変なので 昔の記念碑なんて放って置いて
どんどん人口も減っていき それが現実のようです。

→ 六花さん

この大島の人達が、先祖の皆さんの好意を誇りに思い、記念碑を大切にしているんでしょうネ! 

やっぱり、周辺の人の心が原点かもしれません。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/530215/64504591

この記事へのトラックバック一覧です: トルコ軍艦・遭難慰霊碑:

« くしもと大橋 | トップページ | 樫野埼灯台 »

2017年8月

   
1
2
Img_0009
3
4
Img_0028
5
6
Photo
7
8
70507
9
10
Img_0006
11
12
Img_0005
13
14
Img_0035
15
16
Img_00462
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31