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2016年10月12日 (水)

長岡市の旧・越路町

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現在では長岡市と合併してしまった旧・越路町にある越後一の旧家・長谷川邸の見学を終えた私達は、その駐車場へ戻りました。
 
駐車場脇には大きく枝葉を伸ばした大木があり、その根元には「耳だれ神」の道祖神が祀られていました。
 
「耳だれ神」とは、昔から人々を悩ませた耳漏(じろう)を治してくれる道祖神で、多くの人がこの道祖神へ手を合わせたことでしょう。
 
 
 
 
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旧・越路町は、新潟県内でも「ホタルの里」として有名で、夏になると近くを流れる渋海川には沢山のホタルが舞う姿が見られます。
 
そんなことから、マンホールの蓋で「ホタルの里」であることを表示し、近くには「ホタルの館」を設けて、その保護や環境維持を提唱しています。
 
 
 
 
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その「ホタルの館」の前庭に、手を広げた誰かの銅像がありますが、、、、、あれは?
 
 
 
 
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そう「お客様は神様です!」の名セリフでお馴染みの歌手、三波春夫の銅像です。
 
あの有名な三波春夫は、この旧・越路町塚野山のご出身だったんですネ~!
 
三波春夫は昭和19年に出征し、間もなく満州で終戦を迎え、シベリアに抑留されました。 大変な苦労の末、やっと帰国し、浪曲家として復帰しましたが、その後 歌手への転向を決意し昭和32年「チャンチキおけさ」で歌手デビューしました。
 
以後は「雪の渡り鳥」、「東京五輪音頭」などが次々にヒットし、国民的歌手に成長していったことは、皆さんご存知のことです。
 
 
 
 
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中央に旧・越路町の町章を描いたマンホールの蓋もありましたが、旧・越路町は世界的なラケット・メーカーに成長したヨネックスの創業者・米山勉の出生地でもあります。
 
現在は東京・文京区湯島に本社を移転していますが、ここ越路町で昭和21年に酒造用の呑口である「桐木栓」、漁業で使う「木製ウキ」を生産したことがヨネックスの最初でした。
 
技術革新の波に乗れず苦しい時期もありましたが、昭和32年にバドミントン用の木製ラケット製造に着手し、工夫・考案を重ねた結果、その性能が世界に認められました。
 
こんな越後の辺境の地から、国民的歌手や世界的ラケット・メーカーが誕生したことに、私達はちょっと驚かされました。
 
 
 
 
 
 

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コメント

道祖神に「鳥居」なんですね・・
私には長岡が越後路への入り口と感じられます。

オリンピックで有名になったバトミントンのラケット代名詞は新潟なんですよね。
燕といい、雪国の方の手工芸的技法素晴らしさには驚きます!

→ 鉄腕マトムさん

信越線で新潟へ向かうと、長岡が「越後の入口」と感じられるのかもしれませんね~。

→ キハ58さん

ヨネックスがこんな片田舎が発祥地だったなんて、、、知りませんでした。

今やラケットの世界的メーカーですね。

三波春夫さんがシベリア抑留生活でご苦労されたことは
知りませんでした。
いい笑顔の方でしたね。

→ スーちゃん

まさか三波春夫さんにシベリア抑留の時期があったなんて、私も知りませんでした。

越路町もいらっしゃいましたか?
三波春夫さんの銅像があったとは。
まだ見ていません(>_<)
地元でも知らないことだらけです。

→ マインさん

三波春夫さんの銅像、立派でしたよ!  ホタル館に説明資料もありました。

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