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2016年10月30日 (日)

太宰治記念館・斜陽館

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五所川原市内にある「立佞武多の館」で、巨大な立佞武多を見学した私達は、もう少し津軽半島を奥に進み、金木町まで車を走らせました。
 
金木町は津軽三味線の元祖と云われる「仁太坊」の出身地であり、津軽民謡の黒川桃太郎の出身地でもあります。
 
黒川桃太郎は津軽の三つ物「よされ節」、「小原節」、「じょんから節」の基本形を作り、津軽民謡中興の祖と呼ばれました。
 
 
 
 
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私達が金木観光物産館の駐車場に車を停め、先ず「津軽三味線会館」を訪ねると、あと10分程で津軽三味線の演奏が行われる…ということなので、すぐに入場券を買いました。
 
舞台では13時からの実演が、すぐに開始され、女性の演奏者でしたが、津軽三味線独特の力強い撥さばきを耳にすることができました。
 
            
 
 
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次に訪れたのが作家・太宰治の生家で、明治40年に落成したと云われる「太宰治記念館・斜陽館」です。
 
太宰治の父である津島源右衛門が建築した入母屋造りの大きな建物で、米蔵に至るまで青森ヒバを使い、階下に11室、二階に8室、付属建物などを合わせ、敷地面積680坪という大豪邸です。
 
 
 
 
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太宰治は、この家のことを「この父はひどく大きい家を建てた、風情も何もない、ただ大きいのである」と「苦悩の年鑑」の中で書いています。
 
太宰にとって、あまり良い印象は残っていなかったようです。
 
 
 
 
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こんな豪邸も、終戦後津島家が手放し、昭和25年からは旅館「斜陽館」という名で町の名所になり、全国から太宰ファンが訪れた時期がありました。
太宰は、この金木町のことを、その小説「津軽」の中で以下のように書いています。
 
「津軽平野のほぼ中央に位し、人口五、六千の、これという特徴もないが、どこやら都会風にちょっと気取った町である。 良く云えば、水のように淡白であり 悪く云えば底の浅い見栄坊の町という事になっているようである…」 
 
そんな金木町も、2005年3月、五所川原市と合併しました。
 
そうそう忘れていましたが、金木町は「俺は津軽のプレスリー!」と津軽弁で売り出した「吉幾三」の出身地でもありました。
 
 
 
 
 
 

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コメント

津軽三味線は他の民謡と違い、太棹でしかもバチで胴を叩くのが特徴、それであの迫力が出るのでしょう、
太宰の作品は好んでは読まなかったですね
高校が三鷹にあったので太宰研究は盛んでしたが特に何もしなかったです。

→ 鉄腕マトムさん

若い女性に太宰ファンが多いのが特徴ですよネ!  私も、それ程多くの作品は読んでいません。

斜陽館では 孤独な幼少期を送った太宰がいつも座っていた
細い階段・・台所へ通じていた?忘れました。
ばあやがいたからです。 両親ではなく ばあやを慕っていた
孤独な幼少期が浮かび上がって来ます。

吉幾三の哀愁は・・そうですか金木町生まれなんですね~

→ 六花さん

太宰治自身は、父親が建てたこの大きな家にそれ程の愛着や、親しみをもっていなかったようですね~。

これが斜陽館なんですね。
このような立派で大きい建物と思いませんでした。
太宰文学のもとなのですね。

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