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2016年9月 1日 (木)

肥後街道・今市宿

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かつて肥後から豊後へ続く、全長124Km(五宿)を繋いだ「肥後街道」がありました。
 
現在では、高原リゾートの久住から熊本・阿蘇方面へ抜ける国道442号線沿いにあり、大分市のはずれに該当するのですが、合併以前は野津原町という小さな町に属していました。
 
この山深い場所に、ちょっとした歴史スポットとして「今市宿の石畳」が残されています。
 
 
 
 
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熊本の藩主となった加藤清正は、肥後・熊本と豊後・鶴崎とを結ぶ参勤交代道路の道筋として五ヶ所の宿場を整え、肥後街道を整備しました。
 
後に肥後の領主となった細川氏も今市を小休止の場と定めていたようです。
 
熊本から肥後街道を通って鶴崎に至り、そこから海路で一気に瀬戸内海を大阪まで渡るルートが参勤交代の順路としては、最も効率が良い方法でした。
 
 
 
 
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今市宿の石畳道路は、江戸時代の参勤交代の通行路として使われ、本陣、脇本陣はじめ多くの宿、茶屋、酒蔵などが軒を並べて賑わっていました。
 
肥後街道は、道幅8.5mの中央部分に、巾2.1mの平石を敷き詰め、その石畳の長さは660mにも及び、こんなに長い石畳が現存しているのは、全国的にも珍しい…とか。
 
 
 
 
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加藤清正や細川忠利などの熊本藩の藩主だけでなく、 1810年には全国測量の旅を続けていた伊能忠敬が野津原宿として測量し、 1864年には、四ヶ国艦隊の下関砲撃を中止要請のため長崎へ向かう勝海舟と坂本龍馬とが野津原宿で一夜を過ごし、この街道を歩いてゆきました。
 
こうして並べると、かなりのビッグ・ネームがこの「石畳の道」を歩いたんですネ~!
 
 
 
 
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ただ、大変残念なことですが、せっかくの歴史遺産である「石畳の街道」は過疎の波に飲み込まれたようで、宿場には人影もなくひっそりと静まり返っていました。
 
街道脇には夏草が茂り、カラスウリが真っ白な花を咲かせ、その静けさを一層感じさせています。 何とか、この歴史遺産にスポットを当てる方法を考えたいものだと思いました。
 
 
 
 
 
 

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コメント

今市、栃木県しか知りませんでした。
風情ある石畳みの道ですね~^.^/

→ キハ58さん

関東で宿場町、今市と云えば日光街道の今市を思い出しますよネ!

石畳、見ている分にはいいのですが歩くのにはちょっと・・
昔の人はぬかるみよりは快適だったのでしょうね。

→ 鉄腕マトムさん

実際に石畳の上を歩くのは、凹凸があって大変です。

足を捻らないように気を付けながらの歩行は大変だったと思います。

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